琵琶法師ダミアン殉教者

(1605年8月19日山口・讃井の一本松にて殉教)

 この度、日本188殉教者列福に山口の信徒であったダミアンが、その列に選ばれた。これは、山口カトリック教会の信徒のみならず全国の信徒の皆にとって大変光栄なことである。初めてダミアンの名前を聞かれる方も多いだろう。正直、私たち山口の信徒であっても、列福の裁可を頂戴するまでダミアンのことを詳しく知っていた人は、数える程しかいなかった。ところがこの度の列福を機に、一人また一人と彼を知る人が増えている。それは彼のことを深く知れば知るほど、彼自身のキリスト者としての生き様に感銘するからである。
 ダミアンは、和泉の国・堺で生まれ、周防の国・山口で琵琶法師として活躍した。しかし、その間のダミアンについては、誰にも何も知られず、彼の日本名すら記録されていない。彼が生まれ育った堺、その堺は当時大きな港町として栄えていた。そこには、伴天連と呼ばれた神父たちも住んでいた。おそらくダミアンは、幼少の頃、当時堺で盛大に行われたと記録されるクリスマスのミサあるいはお祝い会に出会ったであろう。しかしこれは、あくまでも憶測にすぎない。なぜならダミアンの回心を考えるとき、「何処かでキリスト教と出会い、それが彼の心の片隅に残っていた。 そして琵琶法師として活躍する山口の時代、彼にとって何十年経ってキリスト教との再会となった。そしてその再会によって、それまでダミアンが満たされることのなかった心の隙間に "神のみ言葉" が、慰めと励ましで満した」 と意図的推察で結び合わせることも可能である。
 ところが実際の"召命"とは、その様な筋書き通りのものではない。パウロのように突然「出会い」が、向こうからやって来るものもある。だとすればダミアンの回心は、偶然とは言えないだろう。彼が琵琶法師として活躍する以前から神によって計画された "神のみ業" ではなかったか。それは一人の人間の存在そのものを活かすべき、タレントと精神力を鍛錬し、時が来たとき "この人" と出会いの機会を創る。それに気づくか、気づかないか。それはその人の自由意志による。しかしダミアンは、他とは違っていた。盲人独特の鋭敏な神経と触覚、記憶力抜群で智恵に勝り、他の琵琶法師の群を抜き諸侯諸管とも親密にしていたと伝えられている。 「ダミアンと神との出会い」それは、どうしても "神の計画" 抜きに考えられないのである。
 1586年に改宗、異教徒たちや僧侶たちは、彼の改宗を非常に残念がったと伝えている。その結果、異教徒たちや僧侶たちは、これまで彼に施してきた生活費としての喜捨を中止した。にもかかわらず、その後ダミアンは神父なき教会の中で、厳しい弾圧にも動じることなく神父に代わって病人を訪問したり、洗礼を授けたり、信者を励まし福音宣教に奔走した。その彼の言動が、"信徒の鑑" として讃えられる由縁である。 このダミアンの生涯、彼の生き様を現代社会は、どのように受け止めるのだろうか。ただキリストを証した殉教者の一人だけなのであろうか。 否、現代社会に欠如する "良心" と "忍耐" そして "愛"そのものを彼は、自分の命に代えて人々に伝えた。何故なら、これらの一つでもこの世から無くなれば、人の世の儚さ、虚しさ、道標のない人生になることを現代に訴えているのではないか。
 ダミアンの後輩である者たちよ、彼の殉教の日を契機に現代社会での勇気ある福音的生き方を実証することが出来るよう、ダミアンの取り次ぎを願い、その恵みと力を願いましょう。

神に感謝
山口カトリック教会
主任司祭  松村信也 S.J.