神の母聖マリア ミサ説教
心に納めて思い巡らす
ルカによる福音2:16-21
ルカによる福音2:16-21
1月1日は「神の母聖マリア」の祭日。「神に母がいるのか」と言う人もいるかもしれませんが、神が人間としてこの世界に生まれるためには、どうしても一人の女性が必要でした。人間は、地面や石から生まれることはできません。人間は、一人の女性から生まれてこそ人間なのです。全能の神が、人間と共におられる神になるためには、神の愛が、目に見える形で人間の心に届く愛になるためには、どうしても人間の協力が必要だった。そう言ってよいでしょう。
そのことは今日においても変わりません。神の愛は、人間に宿ってこそ、人間に届く愛になるのです。神の愛は、わたしたちの心からあふれだす笑顔ややさしい言葉に受肉することによってこそ、この世界に生まれることができるのです。わたしたちにも、マリアと同じ役割が与えられていると言っていいでしょう。神の愛をしっかり心に受け止め、目に見える形でこの世界に生まれさせる。その役割が、わたしたちにも与えられているのです。
では、どうしたら、マリアのような心で神の愛を受け止めることができるのでしょう。そのために何より必要なのは、「心に納めて思い巡らす」ことだと思います。羊飼いの話を聞いたとき、集まっていた他の人々は「不思議に思った」だけでしたが、マリアは起こった出来事をすべて「心に納めて思い巡らした」とルカ福音書は伝えています。マリアは起こった出来事について判断を加えず、そのまま心に納めた。そして、その出来事を通して神が何を語っておられるのか、謙虚な心で思い巡らしたということです。マリアは、あらゆる出来事の中に神の声を聞こうとする人だった。神の声を聞いて、この世界にそのメッセージを受肉させる人だった。そう言っていいでしょう。そのような人だからこそ、マリアは「神の母」として選ばれたのです。
神の愛をこの世界に受肉させる使命を果たすために、わたしたちも「心に納めて思い巡らす」習慣を身に着ける必要があります。たとえば、相手から何か気に障ること、腹が立つことを言われたとき、それに対してすぐに判断を加え、「なに言ってるんだ」と言い返すなら、神の声は聞こえません。判断を加えず、そのまま心に納め、「神さま、あなたはこの出来事を通してわたしに何を語りたいのでしょうか。あの人の言葉を、わたしはどう受け止めたらよいのでしょうか」と思い巡らすうちに、その出来事を通して神が語りたかったことが少しずつ明らかになっていきます。「確かに、あの人の言う通り、わたしは少し傲慢になりすぎていたかもしれない。しゃくにはさわるが、言ってもらってありがたかった」、そのように思えるようになってくるのです。神様の声をしっかり受け止めたわたしたちの心からは、相手に対する感謝の言葉や、神のみ旨に適った正しい行動がうまれてくるでしょう。それこそ、神の愛の受肉であり、イエス・キリストの誕生なのです。
「神の母」として神の愛をこの世界に受肉させた聖母マリアにならい、わたしたちも目に見えない神の愛を、目に見える形でこの世界に受肉させることができるように。すべての出来事を「心に納めて思い巡らし」、すべての出来事から神の声を聞くことができるように、心を合わせてお祈りしましょう。
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